水の街蘇州−東洋のベニス
蘇州夜曲
君がみ胸に 抱かれて聞くは
夢の船唄 鳥の歌
水の蘇州の 花散る春を
惜しむか 柳がすすり泣く
花を浮かべて 流れる水の
明日の行方は 知らねども
今宵映した 二人の姿
消えてくれるな いつまでも
髪に飾ろか 接吻しよか
君が手折りし 桃の花
涙ぐむよな おぼろの月に
鐘が鳴ります 寒山寺
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蘇州(スウジョウ)は、2500年以上の歴史をもつ長江南岸の文化の都市、宋代に築かれた数多くの「古典名園」の街として有名で、長江三角洲の最も豊かな地区、太湖の浜にあります。東の上海までは100km(高速で1時間半)ほどです。
街を縦横に流れる運河は東洋のベニス的風景で、川と街とが相い伸び、「小橋、流水、人家」といった古朴な風貌がいまもなお残っています。建物の古く雑な部分が水面の平滑さで中和されて、独特な雰囲気です。
蘇州というと「蘇州夜曲」が頭に浮かびます。サントリーのウーロン茶のCMで蘇州夜曲の美しいメロディーを若い人でも知るようになりました。蘇州夜曲は李香蘭が主演した日中合作の映画「支那の夜」の主題歌です。日中戦争中の1940年のことです。運河沿いには今も柳が当時の面影を偲ばせます。
拙政園(せっせいえん)−世界遺産
蘇州にある庭園のほとんどは古代中国の個人庭園で、自然に順応させて閑静で美しい環境を追求したものです。限られたスペースの中に草花を植え、楼台車閣を築き、千変万化の景観を配置する。中国造園芸術の風格を十分に示しています。
宮廷色の強い頤和園(ぎわえん)を代表とする北京の庭園をロイヤル・ガーデンとすれば、蘇州の庭園は地方の文人や官僚が所有するプライベート・ガーデンです。
なかでも拙政園(ジョオジュンユエン)は、明の正徳年間(1506〜1521)に官僚の王献臣によって造営された水景をもって有名な、蘇州で最も大きい古典庭園です。
蘇州四大名園(滄浪亭[宋]、獅子林[元]、拙政園[明]、留園[清])の一つで、中国四大名園(拙政園[明]、北京の頤和園[清]、承徳の避暑山荘[清]、蘇州の留園[清])の一つでもあります。
西の方向に向かって、はるか前方を眺めると蓮池(写真左)の向こうに高さ76mの北寺塔が借景として浮かび上がります(写真右上;12倍ズーム)。この景観が世界遺産として評価されたそうです。
水際に築かれた主要な建物は自然で独特な趣きがあります。王献臣は官僚を追放され、故郷の蘇州に戻りました。愚かなものが政をつかさどるという意味で「拙政」と名をつけたそうです。
東園、中園、西園の三つの部分に大きく分かれ、園内で中心的な存在は水で全体の約5分の3を大小の蓮池が占めています。蓮池の周りに東屋、橋、回廊、緑が水面に映って美しい景観を構成します。 その極まりがまさしく「遠香堂」を主体とする中園で、夢のような空間を感じさせます。 西園には「盆景園」があり、そこには蘇州流盆栽「蘇派盆景」の優秀な作品が集められ50以上の種類で約1万の盆栽があるそうです。蘇州の盆栽は有名らしい。
虎丘(こきゅう)−中国のピサ斜塔?
虎丘(フーチュー)は、蘇州の北西郊外にあります。伝説によると、春秋時代に呉の国王・夫差がこの地に埋葬されました。3日後に白虎がその辺に出没していたことが伝わり、その地を虎丘と呼ぶようになったそうです。
約20万uの敷地内に、断梁殿、剣池、千人石、虎丘塔、試剣石など18の史跡が残っています。唐代の大詩人・蘇東坡のお気に入りで、虎丘を称える名句「到蘇州不遊虎丘者、乃憾事也」を残しています。「せっかく蘇州へ行ったのに虎丘を訪れないのはもったいない」といった意味だそうです。
なかでも小高い丘の上に立つ虎丘塔は、雲岩寺塔といい遠くからでも見ることができる蘇州のシンボルです。山門をくぐり、なだらかな坂道を上る虎丘塔まで、中国風駕篭?(往復100元)に乗って登ってみました。道行く人も興味深そうに眺めています。ちょっとした王侯貴族気分が味わえます。
八角形で七層の虎丘塔は、煉瓦で建てられていて高さは47.5メートル。宋王朝の961年に建てられました。この塔はなんと15度くらいも北へ傾いています。
もうもたないよ、という噂は現地では常に聞こえています。今のうちに見に行かないと見れなくなるかもしれませんね。塔の前に真っ直ぐの目安のコンクリート柱(写真左端)があり、かなり傾いているのが分かります。いつ倒壊してもおかしくないこの傾斜具合はピサ斜塔よりかっこいいと評判です。
この塔はピラミッドと同じお墓の墓石で、地下に宝物が眠っているらしい。しかし、その宝物が眠っている蓋を開けると塔が崩れ落ちて取り出す事が出来ないとのことです。
刺繍研究所
蘇州は中国の重要なシルク生産地の1つです。中国の刺繍には、蘇州の蘇繍、湖南の湘繍、四川の蜀繍、広州の広繍(粤繍)があり、これらは「四大刺繍」として 非常に有名です。なかでも蘇州の刺繍は両面刺繍といい、その特色は両側ともきれいに細工されていて、どちら側から見ても、完璧な一枚の絵になっています。
刺繍研究所は蘇州刺繍の針法を研究する専門研究所です。広いフロアに何台もの大きな刺繍台が配置され、それぞれ若い女性研究員が、手本の図柄を見ながら20〜30cmほどの長さに切られた極細の刺繍糸から色を選んでは針に通し、一心不乱に針を刺していました。
刺繍製品の展示即売も行っていて、山水画や、花鳥図、変わったところではモナリザなどの西洋絵画、少し離れて見ると絵画としか見えない精巧なできばえです。値段も小さな物で日本円に換算して2万元(30万円)、大きな作品では15万元(225万円)・・・とても手の出るものではありません。一つの作品を仕上げるまでに何ヶ月もかかり、物によっては2年もの歳月に及ぶそうです。納得。
寒山寺−除夜の鐘
夜 故 江 月
半 蘇 楓 落 楓
鐘 城 漁 烏 橋
声 外 火 啼 夜
到 寒 対 霜 泊
客 山 愁 満
船 寺 眠 天
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楓橋夜泊
月落ち烏鳴いて霜天に満つ
江楓漁火愁眠に対す
姑蘇城外の寒山寺
夜半の鐘声客船に到る
唐詩人・張継
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日本で最っとも名を知られている寒山寺(ハンシャンスー)。蘇州夜曲にも「鐘が鳴ります 寒山寺」と歌われています。鐘楼の鐘は明治に日本から送られたもの。年末には日本から鐘を突く為にツアーが組まれるそうです。
寒山寺は509年−519年の間に建立されました。当時の名前は、妙利普明塔院でしたが、日本では掛け軸なんかで有名な、唐時代の寒山と拾得の両高僧がここで修行していたことから寒山寺と名づけられました。
拾得の方はどうなったのかな。ガイドさんもほとんど触れていないのが不思議です。拾得さんは何か悪いことでもしたのかなと思ってしまいます。
唐代の詩人・張継が「楓橋夜泊」を詠って以来、寒山寺は全国的に有名になり「姑蘇城外の寒山寺、夜半の鐘声客船に到る」の詩によって名が広く知われたりました。境内には寒山をはじめ3人の僧の石刻像や大雄宝殿、鐘楼、五百羅漢、楓江楼、碑廊など歴史文物が数多く残されています。
今日、寒山寺は中国だけでなく、日本を含む諸外国でも広く知られるようになり、大晦日の夜に寒山寺で除夜の鐘を聴きながら新年を迎えるのは人気の高いイベントになっています(右五重塔手前の黄色い建物が鐘楼)
虎丘の門もそうでしたが、寒山寺の入り口の門の壁の色もダイダイ色(中国では黄色)です。よく見かける不思議な色使い。中国のお寺関係はこの色を使うのでしょうか。印象的です。
近くの屋台で売っているシルクのパジャマは、20元などと貼り札が下がっていました。偽物のようにも思いますが、それにしても300円のシルクのパジャマとはどんなものなのでしょう。
姑蘇料理(昼食)−松鼠桂魚(絲綢研究所レストラン)
絲綢研究所に併設されてるレストランで蘇州地方の郷土料理「姑蘇料理」の昼食です。蘇州の名物料理に「松鼠桂魚」(ソンシュウ クェイユイ)というのがあります。
松鼠は「リス」、桂魚は川魚の王様といわれる高級魚、ツアーでもこの料理が出るコースは、旅行パンフレットに特筆してあることが多い。私たちのツアーでは、「昼食は姑蘇料理をご賞味下さい」としか書いていなかった。それで、別に期待してなかったのだが、多分これがそうかな、という感じの料理が出ました。
日本では包丁目を入れた鯉の姿揚げ料理をよく見ますが、出た料理は、魚(多分太湖で採れた?)の身に菱形状に切り目を入れ片栗粉をまぶして揚げた、リスのような松ぼっくりみたいな形の魚が皿に盛りつけられ、オレンジ色のチリソースというか甘酢あんかけがかけてありました(写真中央)。
絲綢(シルク)研究所−ファッションショーとショッピング
絲綢研究所内の昔ながらの糸取り風景です。繭(まゆ)を煮る独特の匂いが懐かしい。繭から絹ができるまでの工程を作業場で見学後、繭で作る布団作りに参加しました。
一個の繭を直径20cmくらいの半円状に広げ、それを四方から持って引っ張ると、あ〜ら不思議!布団の大きさにまで広がるのです。それを20枚、30枚と重ねると真綿布団のできあがりです。真綿ってシルクだと知ってました?
ホールではファッションショーに案内されました。シルク製品の直売場もさることながら、まず最初に見せられるのが工員さんたちによるファッションショーです。あまりの妖艶さにみんな旅の疲れも忘れ、しばらくの間ショーを観賞しました。なかなか商売がうまい。
ハンカチ、下着類、ブラウス、ベッドカバー、チャイナドレスなど様々な製品があります。モデルが着てたチャイナドレスはかっこ良かったけど日本ではちょっと無理なのでお土産にブラウスと真綿の布団(480元)を買いました。
蘇州〜無錫へ
絲綢研究所でのショッピング後、建設中のマンション群や行きかう車を見ながら、蘇州から南京へ走る滬寧高速公路で無錫へ移動。約40分の旅です。蘇州は東洋のベニスと言われる割には、バスで走った印象はひたすら埃っぽかった。車と自転車の分離帯や歩道の緑もやたら埃まみれです。トータルとしては、城門あり、町中にはいかにも古そうな町並みがあり、唐突に五重の塔みたいなものが見えてくる。日本でいえば奈良の感じでしょうか。
昨夜、自転車がライトを灯けてないのを不思議に思って聞いてみたら、中国の自転車にはそもそもライトが付いてないそうです。夜間でも無灯火で走るそうです。大きな道路は自転車専用レーンが分離帯で分けられているのでまだましですが、小さな道路では危険だなぁと感じました。
バスの車窓からは、新築の建物が多く見えます。それがどれも同じ色、同じつくりです。江南地方では古い街並みや景観を維持するためマンションの高さは5階くらいに制限されてるとのこと。
マンションは70uくらいで100万元(1500万円)上海は少し高くて150万元(2250万円)ほどで買えるそうです。土地は国家のものなので70年の借地権を得て、内装は自分たちでするそうです。車もドイツのフォルクスワーゲン(中国との合弁会社が上海にある)が多く、25万元(375万円)するそうです。サラリーマンの平均年収が4−5万元なので家も車も高値の花です。
無錫−魚米の郷
無錫(ウーシィ)は江蘇省の南部、長江三角洲の中心部にあり3000年の歴史を有する古い都市です。古から太湖の恵みに恵まれ「魚米の郷」と呼ばれています。人口435万人。東の上海まで128km、西の南京まで183km、北は揚子江、南は太湖に臨み、古代大運河が市内を貫いて流れ、西に恵山や錫山がそびえる風光明媚な水郷の街です。
かつては錫山より錫が産出されていたので「有錫」と呼ばれていましたが漢の時代、錫を掘り尽くして錫がないことを知らせるために、街の名前を「無錫」としたのは有名な話です。
近年は無錫新区と呼ばれる地域に大きな工場地区が形成されて、交通・経済の要所として外資系企業が続々と進出しているエリアでもあり、蘇州は観光都市ですが、無錫はなかば工業都市でもあります。
錫恵公園−寄暢園、天下第二泉
錫山と恵山の2つの山を園内に持つ錫恵公園は447,000uの大きな公園です。「錫山」は市街地を挟んだ向こうにありその名の通りに、周・秦の時代には定量の錫を産出していた山。高さ約74.8m。「恵山」は9つの峰を持ち、主峰の高さは329mもある山。
遠くかすかに見えるのは龍光塔(写真右上)。夜には先端部分に明かりが灯り、巨大な蝋燭のように見え昼とは違った趣があります。夕暮れ時で寒かったので、広場にいた石焼いも屋で焼いもを1つ(1角=15円)買い暖をとりました。
錫恵公園は明代の造園で、公園の中には錫山、恵山を借景として庭の一部に取り込み、池、橋、建物や回廊で造られた「寄暢園」という名園があります。
清の康熙帝と乾隆帝がそれぞれ6回も訪れているという名園です。北京の頤和園は、乾隆帝が寄暢園を基につくったが「やはり寄暢園には及ばない」と嘆いたと言われています。
庭園に出るとかなり広い池があり、池泉亭や建物が建ち並んで、池に影を映しています。築山には、太湖の底から採った太湖石という穴だらけの石を多く使っていて、穴が多いほど価値があるそうです。
女性の横顔に見えるという大きな太湖石のところに案内されました。角度によって確かに見える…かな。昔は男女が顔を合わせないようにと、一部の廊下は男子用、女子用と分かれていたりします。途中、胡弓演奏などもありいい雰囲気です。
寄暢園を出て恵山寺の方に向います。「天下第二泉」と書かれた鄙びた門をくぐって境内へ入ると、乾隆帝の書を彫った石碑などがありました。風韻のある格調の高い行書はみごとなものです。
さらに進むと、三方を白い壁で囲まれた「天下第二泉」という、茶道の祖といわれた唐代の文人陸羽により名付けられた名泉です。この泉で入れたお茶は格別の味だそうです。
公園内には天下第二泉をはじめ、10ヶ所以上の名泉が点在し、名泉所として茶器等も売られています。錫恵公園の名物は、園内の池に咲く蓮の花からとれる蓮の身の甘煮だそうです。
無錫料理(夕食)−無錫排骨(多村鴨粥店)
夕食は、太湖からとれる魚、エビ等を使ったおいしい無錫料理です。無錫名物の排骨(スペアリブ)は、豚肉のスペアリブを甘辛く煮付けたもので、タレは古くからのものに香辛料などを加えて作られ、その味は甘辛くしつこくなく、香ばしく大変おいしいです。肉が骨からほろりと取れて柔らかく、ほろほろと口の中で蕩けるような食感です。
他の料理も油が少なく甘めで蒸す料理が多いため日本人の口に合います。蟹粉小籠包は、肉がたっぷり入ってしっかりした噛み応え。太湖三鮮ワンタンはつるんとした皮が美味。黄身入り胡瓜、白魚の卵とじ、チンゲン菜の炒め物など全体に淡泊で薄味でした。
食事をする間も、店の人がなんやかやと物を売りに来ます。急須みたいな徳利みたいなもの。錫だというが2000円という値段を考えるとちょっと怪しい。だれもが黙ってたら終りには1500円でいいという。安すぎるのは鉛が混じっているのじゃないかな。
無錫−無錫錫州賓館
夕食後、無錫錫州賓館(XIZHOU HOTEL)にチェックイン。4つ星ホテル(近々5つ星になるとのこと)で今回のツアーでは1番いいホテルです。ホテルの部屋では無料のミネラルウォーター(中国は生水は飲めません)がサービスで配られていて飲み物には不自由しません。
奥さんはツアーの女性陣5人でマッサージのオプショナルツアー(200元)に参加しました。マイクロバスで送り迎えつきなので手軽で安心です。痛いけれどこの快感はやみつきになるそうです。
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